2010-01-01から1年間の記事一覧
音楽は、内面に作用するという意味でひとつだ。 その作用は感覚でも思考でもなんでもいい。個人内でなにかが生起する場合を音楽と呼ぶと思う。しかしその先には少なくとも二種あって、それは日常を邪魔しないものと日常を変えるものだ。そしてMASSIVE ATTACK…
Atoms for Peaceは、さすがに人が多い。モッシュピットはひどい泥濘。何回も足をとられる。 しかも、古い知り合いにばったり遭遇。面白い。定刻どおり、メンバーが登場。気負いがない。Thom Yorkeはテニス部か?という出で立ち。 セットリストは以下のよう。…
3日目。シャトルバスを待つ人人人。最終日はさすがに人が多い。 宿を出てから2時間後に苗場に到着。カレーともち豚カツとビールをとる。 友人に遭遇。 すこししゃべってから、ヘブン〜オレンジへ。OZOMATRIは騒がしくて聴いていられない。 グリーンで休憩。V…
Roxy Musicが目的でFUJIROCKに2日目から参加。 道中The Milleniumの68年にしてラディカルすぎる音源(“Begin”)について熱く語る。もう2000年代の音楽はいいんじゃないか、という結論に達するけれどもとにかく新潟へ。動き回る体力もないので、グリーンステ…
精液や体液や平熱の温かいものがひたひたと満ちているような、 彼岸を知っていると錯覚させるような、 冷静な眼差しや、切ない感覚に溢れている。 この曲聴いて胸を締め付けられない奴はいるのか?
今日は私の情勢がおしなべて順調なはずであり、それに背反することの多い日でもあった。 私を浸食する無力感や、醜い感覚。この感覚を、照らし合わせるならば間違いと言われるだろうか。私の出自、私の目指すところ、仕事に対する価値観、何を共有したいかと…
偽り続けていると、意識が遠退いて来る。靄に包まれたような。 判断が効かない。
何かは永続すると、思っていた私は本当に若かったのだな。このゆるやかな幻滅の過程を、共有できる他者もいないことが、 とてつもなくかなしい。かなしい。
死に搦め捕られている。 死のなんであるかは、明確ではない。曖昧な交接ではなく、 直接の行為を被りたい。 皮膚の隙間を保ちながら。
執着することと対極にある音楽。